25年目の夏 [ニュースピックアップ]
ワタシの住む群馬県の上野村御巣鷹山に、日航ジャンボ機が墜落。520人が犠牲になった事故から25年。
当時ワタシは大学一年生。夏休みで帰省していた時にそのニュースを知りました。
自衛隊や報道のヘリコプターが頻繁に空を飛んでいたことを覚えています。
1985年8月12日18時12分、羽田空港から飛び立った飛行機は、18時56分にレーダーから機影が消えるまでの間、迷走を続けました。
墜落する飛行機の中で家族に宛てたメモ。死を覚悟してペンを走らせる・・・胸にこみ上げるものがあります。
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今6時半だ
飛行機はまわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は幸せな人生だった
と感謝している
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刻々と死亡者の名前が画面に表示されるニュース番組。そんな中、4名の生存者が確認されたことだけが唯一の救いでした。
経営状況の悪化が指摘される日本航空ですが、二度とこのような事故を起こさないような体制だけはしっかりと構築、維持してもらいたいと思います。
520人の犠牲者の魂が安らかに眠れますように・・・。
タグ:日航機墜落事故
きっと遺書なんでしょう・・胸に迫るものがあります。
私は、御巣鷹へ派遣されていた当時の自衛官の方達と仕事をしてるんですけど、断片的に聞く話でも筆舌に尽くしがたいものがあります。
謂れなき中傷や怪談みたいな話も随分とあったようです。
二度と起こしては成らない事故ですね。
by inacyan (2010-08-12 08:15)
当時淡路島に旅行に行ってた時に知りました。
忘れもしません。
今でも時々飛行機や電車、バス等々交通機関の事故があります。
とても残念なことです。
by まめ (2010-08-12 08:52)
忘れなくちゃいけないこともあるけれど…
忘れてはいけないことがあるわ~
25年なのね…
メモ、悲しい
by tamanossimo (2010-08-12 10:17)
こんにちは。
悲しくなりますね…
ご冥福をお祈りしたいと思います。
by 瓶太郎 (2010-08-12 11:55)
かずっちゃさん、こんにちは。
日航機事故からもう25年も経つのだなと、感慨にふけってしまいました。
当時、私は28歳で、職場のレクリエーション目的のキャンプを企画しておりました。
そのキャンプの真っ最中にこの事故があり、キャンプ地とさほど離れていなかったので、周囲が騒然としていたことを思い出します。
ご紹介のあった手書きメモの遺書、この父親と息子さんは当時ちょっと微妙な関係にあったと聞きましたが、この遺書をきっかけに息子さんが父親の深い愛情を再認識したと、のちに語っておられたような記憶があります。
幸いなことに、この事故以降、これほど大規模な航空機事故は発生しておりませんが、教訓として深く生かされているのであれば何よりのことなのかもしれません。
by 伊閣蝶 (2010-08-12 12:17)
この家族宛てのメモを読むと、何も言葉が出てこなくなります。
自分がこの状況になった時、このように冷静にペンを走らすことなどできないでしょうね…。
御冥福をお祈り致します。
by 下総弾正くま (2010-08-12 14:28)
母の友人が、この事故でご主人と二人の子供を亡くされました。仕事の都合で、自分だけが次の便に乗ることになり、生き残っていることをずっと後悔していると言われていました。
あんなことがもう二度と起こらない様に、頑張ってほしいですね。
by LARA (2010-08-14 00:09)